東日本大震災。大地震と大津波。。。
2011年3月11日14時46分頃
三陸沖宮城県牡鹿半島の東南東約130kmの沖合を震源とするマグニチュード9.0
最大震度7強を観測した大地震でした。
大きな地震は、関東県内でも震度5を記録するなど、広い範囲で大きな被害をもたらしました。
また、その後に発生した津波により、多くの犠牲者を出し、
現在も多くの行方不明者がいらっしゃいます。
当時、各放送局がヘリコプターを飛ばし、現地を撮影・ニュース放映されました。
津波から逃げ惑う人とそれに反し、車で避難しようとして起きた大渋滞。
黒い水が覆いかぶさり、すべてが飲み込まれる映像でした。
テレビの前でも、衝撃的な映像に悲鳴を上げ、そこに映る人に「そっちはダメッ!!」「逃げて!!」
そう叫んでも、声は届きませんでした。
当時の映像では修正もなく、リアルタイムで放送されました。
現在も多くの映像が残され、特番などでも放送されますが、過去のトラウマから、恐怖を呼び起こしてしまうため、修正の施されたものになっています。
それでも、本当にショッキングな映像ですが、当時を知らない世代が増えていく中、どう伝えていくべきなのでしょうか?
災害の被害はまだ終わっていない
2021年時点の犠牲者の数は4147人。震災当時の犠牲者は1614人でした。
現在も196人の行方が分かっていません。
震災当時から10年(2021年時点)、これまでに長期に渡る避難生活などで亡くなられた
震災関連死の方は、2316人に上ります。
避難生活を続けている方は、3万3,365人(2022年現在)と未だに震災の被害は続いています。
県外への避難、仮設住居での長期に渡る避難生活と、見知らぬ土地でのストレスの多い生活を今も続けている方がいます。
除染作業も完了せず、故郷に戻ることのできない人が多くいるのが現状です。
除染作業はどこまで終わったの?
津波被害、そして、原子力発電所の原発事故の影響を一番受けた福島県ではいまだに除染作業が続けられています。
2018年3月時点での環境省によるデータによると、
除染完了地域は福島県内12の市町村(一部のみの市町村を含む)
除染未完了の地域は7の市町村とまだ道半ばの状態と言えます。(県内除染特別地域のみの記載)
除染作業の費用は年々縮小傾向にありますが、県の財源の約10%が除染関連費用として計上されています。
福島県の税収は2011年当時9000億円でしたが、翌年から、除染などのため国庫支出費が増加されるなどしたため、1兆5000億円を超える財源がありました。
だんだんと数値は上昇し、復興に向けて除染や避難生活の財源として、これまで進んできました。
参照(https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/458002.pdf)7ページ
海岸沿いの堤防や、地域活性化のための道の駅建設など、復興工事が進められてきましたが、
同時に、多くの人口流出も進んでしまっています。
参照(https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/185579.pdf)4ページ
202万人程度の人口が198万人となり、従来の減少率と比較した数値とも3万人の乖離があり、急速な人口減少が起きていることがわかります。
原子炉の廃炉処理が想定よりも遅々として進まない中、若い世代だけでなく全世代的な流出が続いています。
国庫支出費も前年比5.9%減と、財源としても厳しさを増してきました。
あれから11年。
今なお、福島県では戦っている人たちがいます。
おわりに
エールを送る。
そんな思いから、テレビ朝日系「ミュージックステーション」では、17000人が選ぶ応援ソング特集でした。
音楽から力をもらえる。
本当にすごい力がそこにはあると思います。
では、私たちには何ができるのでしょうか?
どうやって、一緒に頑張っていくことができるのでしょうか?
震災から11年。
もう11年。。。
まだ11年。。。
悲しみのその先に、前を向けるときが来るように。
他人事ではなく、まずは知る努力を。
声を聴く努力を。経験する行動力を。
寄り添える優しさと、勇気を。
みんなで持って、これから進んでいきませんか?